和歌山教会 

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敬老の日を迎え 長年に渡り 神さまを信頼して 教会を支えて来られた 27名の80歳以上の
高齢者の方々を
お祝いする時を持ちました

聞け、ヤコブの家よ
またイスラエルの家のすべての残りの者よ
母の胎を出た時から私に担われている者たちよ
腹を出た時から私に運ばれている者たちよ。
あなたがたが年老いるまで、私は神。
あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。
私が造った。私が担おう。
私が背負って、救い出そう。
                     (イザヤ書 46:3-4)

 

 

教会だよりを読んで

上の写真が掲載されている、教会だよりの同じページに、
『ライオンのおやつ』という感想文が書かれていました。
私はそれを拝見しました。
その文章は、静かな午後の光のように、
心の奥にやさしく沁みてまいりました。
病のただなかで、人が「受け入れる」ことを学んでいく姿。
その受け入れの中に、痛みを越えてなお
「感謝」が生まれていく不思議。
筆者のことばには、そのやわらかな光が宿っていました。
人は、苦しみの中にあってこそ、
ほんとうの「ありがとう」に近づいていくのかもしれません。
そして、同じ頁に記されていた「高齢者記念祈祷会」の写真を目にして、
胸の奥がもう一度、あたたかくなりました。
長い年月を神さまに仕え、
教会を支えてこられた方々の名が、
ひとつひとつ、祈りの珠のように並んでいました。
そのお名前をたどるうちに、
私はお一人おひとりの歩みを思い浮かべ、
静かな感謝の祈りをささげていました。
礼拝堂の写真の笑顔には、年月の重みと信仰の深さがありました。
老いを迎えてなお、祈りと感謝のうちに生きる姿は、
『ライオンのおやつ』の主人公が見いだした
「受け入れること」の静けさと、
どこか同じ光を放っているように思われました。
一枚の紙面に、
「命を受け入れる物語」と「長く祈る人生」が並んでいる――
そのこと自体に、深い意味を感じます。
それぞれが、命の終わりに向かう歩みの中で、
一つの言葉、「感謝」という祈りに結ばれているのではないでしょうか。

私たちの教会の新しい一歩

 

 
長いあいだ、防犯や維持のため、礼拝が終われば扉は閉ざされていました。
しかし、2025年、五十嵐牧師をお迎えし、私たちは話し合いを重ね、方針を変えました。
開けておくのがふさわしいと判断されたとき、会堂の扉は静かに開かれることになったのです。
• 牧師や教会員と、ふと出会い、言葉を交わす場として
• 教会員や地域の人々が、静かに休み、祈り、心を落ち着ける場として
• 外国人労働者や留学生が、安心して身を置ける場として

 

 

五十嵐高博・五十嵐悦子牧師 就任式

2025年7月21日――海の日の、澄んだ光の中で

私たちの教会は、静けさのうちに、
阿部先生の司式のもとで、
就任式を礼拝堂にてつつましく執り行いました
祈りと喜びが、まるで柔らかな風のように、
会堂いっぱいに、そっと満ちていました。
それは、あのガリラヤの岸辺に吹いていた風と、
どこか重なるようでもありました。
教会という器に、新たないのちの息吹が注がれ、
ともに歩む日々が、いま、ここから始まります。
かつて清藤先生が、和歌山城を見上げながら
「この地に遣わされた使命を思わずにはいられない」と
語られた言葉が、ふと心によみがえります。
そしていま、就任式の最後に五十嵐先生は、
「城の天守閣から城下の町を見渡したとき、
ここに遣わされたことを、あらためて深く覚えた」と
穏やかに語られました。
そのお言葉を聞いたとき、
私は、時を超えてひとつのまなざしが重なるのを感じました。
いま、五十嵐お二人のまなざしに、
清藤先生の祈りが重なり、
そしてそのまなざしをさらに深く、
聴く者としての歩みが始まろうとしています。
すべてを整え、導いてくださる主のご臨在に、
ただただ静かに、感謝をささげた一日でした。

 

4月に着任した頃は、ちょうど和歌山城の桜が見頃でした。それから散策するたびに新緑や折々の花々を楽しんでいましたが、もう紫陽花の季節が終わりました。時の経過をとても早く感じています。和歌山城の天守に登って東西南北を見渡すと、和歌山市を一望することができました。「わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。…あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした」という主イエスの御言葉を思い浮かべました。(ヨハネによる福音書4章35~38節)豊かな実りを待ち望みながら、神さまに遣わされたこの土地で、皆さまとご一緒に、主と主の教会にお仕えしたいと願っています。よろしくお願いいたします。 (五十嵐 高博)        
                 

 

 

🌿光に導かれて──新しい牧師を迎えて

「光あれ」と語られた神のみ言葉が、
そっと、わたしたちの教会にも吹き渡ったようでした。

長く続いた、無牧の時。
日々の礼拝には変わらぬ祈りが捧げられていましたが、
その祈りの奥に、言葉にならない静けさが横たわっていました。
神さまがどこか遠くに感じられるような、
そんな夕暮れのような時が、わたしたちの教会を包んでいたのです。
けれど、その静寂の中にも、
見えないところで、神の御手は働いておられました。
そして、2025年の春。
五十嵐高博牧師と、五十嵐悦子牧師が、
そっと、わたしたちの群れの中に遣わされてきてくださいました。

 
 







私たちの教会は、所属する日本基督教団とともに、
2024年能登半島地震により甚大な被害を受けた教会と地域社会の再建支援に取り組んでいます。

大地が裂け、住まいが失われ、人々の祈りの場である教会堂もまた倒壊し、あるいは損傷しました。
けれども、預言者エゼキエルが幻に見たように、
神殿の敷居の下から湧き出た水が東へと流れ、あらゆる地を潤したように、
いま、私たちはこの地に再び命の泉が湧きいずることを信じ、祈り求めています。

このたび、日本基督教団は「能登半島地震教会等再建支援募金」を開始しました。
目標額は七千万円。
皆さまの祈りと共に、心からの献金のご協力をお願い申し上げます。

わずかな献げ物であっても、
それは、絶望の淵にある誰かにとって、生きる力となり、
新たな希望への灯となるでしょう。

どうか、主の愛に押し出されるままに、
ともにこの再建の業にあずかりましょう。
私たち一人ひとりの手の中に、命の水はすでに託されています。