和歌山教会 

今月の説教

2025年4月 説教

牧師 五十嵐高博 主の十字架から注がれる愛 ヨハネによる福音書19章25~27節


主イエスの十字架の足元にいた人たち  主イエスが十字架につけられたとき、その足元に、四人の女性と、一人の男性の弟子がいました。主イエスの母マリア、彼女の姉妹、クロパの母マリア、マグダラのマリア、それから、「愛する弟子」と呼ばれていた弟子です。(25~26節)この五人に共通しているのは、主イエスに愛されていることだけです。主イエスは、十字架で命を捨てるほど、この五人を愛し抜いてくださいました。きっと、この五人は、「イエスさまは、わたしを愛し抜いてくださった」と感じていたのでしょう。だからこそ、十字架の主のもとに集まったのだと思います。
そして、主イエスの周りに集まった者たちを、主は、「あなたの子です」、「あなたの母です」と、互いに家族として紹介してくださいました。こうして、十字架のもとで、神さまを父とし、主イエスを兄とする新しい家族が創造されました。ここに、教会の姿があります。わたしたちも、この家族に加えられています。主イエスは、わたしたちも極みまで愛してくださり、共に生きる神さまの家族にしてくださいました。主イエスは、共に聖餐に与る兄弟姉妹を示しながら、「ここにあなたの家族がいる」とおっしゃっているのです。

「ご覧なさい。あなたの子です。」
「ご覧なさい。あなたの子です」と主イエスは言われました。もしも、わたしたちが、自分よりも若い人をすべて、自分自身の子どもや孫として愛することができれば、どんなにすばらしいでしょうか。
「見なさい。あなたの母です。」と主イエスは言われました。もしも、わたしたちが、自分よりも年長の方々をすべて、自分自身の親や祖父母として愛することができれば、どんなにすばらしいでしょうか。
実際には、そうすることができずに、わたしたちは時に悩み、傷つけ合い、苦しんでいます。そのわたしたちの罪を、主イエスは十字架で引き受けておられます。互いに愛することができないわたしたちを、主イエスは愛し抜いてくださいます。

 


主イエスは十字架の上から、「見なさい。あなたの母です」と弟子に向かって言われました。これは単に「後のことはよろしく」と依頼しているのではありません。「見なさい」「ご覧なさい」(「見よ」)という表現は、預言者が神さまの御業を語るときに用いる特別な表現です。主イエスは、十字架ですべてを与え尽くすまでわたしたちを愛してくださいました。この十字架の愛によって、わたしたちの心に愛が生まれるという奇跡が起きます。この奇跡の御業を見なさいと、主イエスは呼びかけておられます。
 ですから、わたしたちに求められているのは、なによりもまず、主イエスの愛を全身で受け止めることです。「愛さなければならない」と自分を追い詰めて、愛を絞り出そうとするのではなく、主の愛を受け取ることです。愛の源泉は、わたしたちの内にはないからです。「愛は神からでるもの」です。(ヨハネの手紙一4章7節)愛を知らないわたしたちのために、主イエスは十字架で命を捨ててくださいました。すなわち、主イエスは命を与えてくださいました。これほどまで主に愛されて、わたしたちの心にも愛が生まれます。
「そのときから、この弟子は、イエスの母を自分の家に引き取った」と書かれています。(27節)「自分の家に引き取る」と訳されている言葉は、「自分の命の一部とした」という意味です。ただ一緒に暮らす、ということではなくて、自分のいのちを与えることです。その人のために惜しみなく時間を使うことです。力を尽くして、仕えることです。十字架の主から愛を注がれて、弟子の心に愛が生まれました。
この奇跡を、主イエスは十字架で成し遂げてくださいました。


(今年度の祈祷会では、次の主日に教会学校の礼拝で説教される御言葉を聴いて祈ることにいたします。今回は、4月9日の祈祷会での学びを巻頭の御言葉として掲載しました。場所は離れていても、同じ御言葉を聴き、祈りを合わることができればと願っています。また、教会学校のためにお祈りください。)

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