
思いがけない光の交差点
――歎異抄とパウロ、信仰のひびきあい
このページをひらいてくださった方へ。 ここで、ひとつの思いを分かち合えたらと思います。
異なる光が交わる場所で、私たち自身の足元を見つめなおす。
そんなひとときを、ともに過ごしてみませんか。
キリスト教の歩みが西洋から伝えられる中で、日本の精神的な風土とどこか噛み合わないまま、誤解やすれ違いが生じてきた歴史があるように思います。
でも、本当に福音の光を受けとめるためには、自分の心の井戸の深さを見つめることから始まるのかもしれません。
「わたしたちは、見ることによってではなく、信仰によって歩んでいるのです。」(二コリント5:7)
日本のキリスト者、内村鑑三や遠藤周作は、『歎異抄』という一冊の中に、福音と響きあう光を見出しました。
それは、私たちの言葉で語られているからこそ、魂の奥深くまで届いたのかもしれません。
『歎異抄』は仏教の書物ですが、その問いかけ――「なぜ私たちは苦しいのか」「ほんとうに安心できる場所はあるのか」――には、キリスト教が語る福音の核心とも通じる響きがあります。
「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生」――この言葉には、人間の限りない弱さと向き合う眼差しがあります。
それは、パウロが語る「すべての人は罪を犯した」(ローマ3:23)という言葉と、どこかで呼応しています。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた。この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしはその罪人の中で最たる者です。」(一テモテ1:15)
ある晩、教会の静けさの中で、一人の青年がぽつりとつぶやきました。
「ぼくには立派なことは何一つできません。聖書も読みきれず、祈ってもすぐに心が離れていってしまうんです。そんなぼくが、本当に神さまに受け入れられているなんて、信じられません。」
私は、聖書を静かに開き、心の中でひとつの言葉を思い浮かべました。
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのです。」(ローマ3:28)
この言葉の響きが、時を越えてもうひとつの物語と重なっていきます。
法然のもとには、念仏の教えに導かれて、約四百人の弟子の弟子たちが集っていました。
ある夕暮れ、座は沈黙に包まれ、親鸞がそっと立ち上がりました。
師の前に進み出て、深く頭を垂れ、言葉を選ぶようにして問いかけたのです。
「念仏を称えるという“行い”こそが救いの道なのでしょうか――
それとも、ただ阿弥陀の願いを信じきるという、この心にこそ、往生の本質があるのでしょうか。」
その問いが空気をふるわせると、法然は静かに弟子たちを見まわし、口を開きました。
「では、おのおの、心に従って座につきなさい。
念仏を称えることを要とする者は、行不退の座へ。
信じる心を要とする者は、信不退の座へ。」
弟子たちはそれぞれ、ためらいながらも行不退の座に身を寄せていきました。
ただ親鸞だけは、迷うことなく、静かに信不退の座へと歩を進めました。
その光景を見届けた法然は、一歩、また一歩と歩み寄り、親鸞の隣に腰を下ろしました。
「私は、信の座にともに座りましょう。」
その言葉とともに生まれた沈黙は、
信仰とは何か――その核心が、行いではなく、
ただ信じきるという心の深みにあることを、静かに物語っていたのです。
「あなたがたは恵みにより、信仰によって救われたのです。
それは自分自身から出たことではなく、神の賜物です。」(エフェソ2:8)

初めて日本の教会にきて
S.P.
皆さん、こんにちは! 私は南インドの自然豊かな町で生まれ育ち、現在は日本で新たな人生を歩んでいます。
なぜ日本に来たのか?
なぜ和歌山教会にいるのか?少しユーモアを交えながら、私の物語を皆さんに読んでいただきたいと思います。
☆インドから日本へ:なぜここに?
☆「英語が話せるのに、なぜ日本を選んだの?」
これは、私が最もよく聞かれる質問です。確かに、アメリカやイギリスという選択肢もありました。しかし、私は「最も難しい道を選ぶことで、最も多くのことを学べる」と信じています。そう考え、日本語という未知の世界に飛び込み、ここ和歌山にたどり着きました。
最初の数週間は、まさに文化の衝撃でした。漢字の難しさ、想像を超える礼儀作法、そして何より、日本の食べ物が「甘くない」ことに驚きました!インドではスパイスの嵐の中で育ちましたが、日本では「だし」の優しい味が心を和ませてくれました。
☆教会との出会い:神の導き?
もしかすると、和歌山教会に導かれたのは神の計画だったのかもしれません。初めて教会を訪れたとき、私はすぐに「ここが私の居場所だ」と感じました。
私はインドのセント・アントニーズ高等学校で学びました。そこはキリスト教系の学校で、毎日の祈りが生活の一部でした。そのため、教会に通うことは幼少期から慣れ親しんだ習慣でした。和歌山教会の皆さんはとても温かく迎えてくださり、まるで故郷に帰ってきたような気持ちになりました。
母の死と父の教え
私の人生で最も大きな試練は、母の死でした。12歳のとき、突然の病で母は天に召されました。その日は、私が初めて母にチェスで勝った日でもありました。あの勝利が、母との最後の思い出になるとは思いもしませんでした。
父は、母を失ってからも懸命に私たちを支えてくれました。とても優しく、人を疑うことを知らないほど誠実な人でした。時には騙されることもありましたが、それでも「人を信じることの大切さ」を教えてくれました。「世界は純粋で、人々は優しい。だから、お前も親切であり、母のように勇敢であれ」という父の言葉は、今も私の心に深く刻まれています。
☆これからの目標
私はこれからも、日本での生活を大切にし、成長していきたいと思います。そして、インドと日本をつなぐ架け橋のような存在になれたらと願っています。
和歌山教会の皆さん、私を温かく迎え入れてくださり、本当にありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

Z.T.
私は小さい頃から教会に通うことが習慣となっていました。しかし、それは単なる習慣であり、教会の本当の意味や重要性を理解していませんでした。
ある時、人生の中で多くの問題に直面しました。憂鬱や悲しみ、解決策の見つからない問題に苦しんでいたとき、友人が教会で祈るよう勧めてくれました。それまで教会には通っていましたが、祈りの深さを感じることはありませんでした。
その日、私は心から神を求めました。涙が溢れましたが、祈りながら心の中に不思議な平安が広がり、乱れていた心が静まりました。その瞬間から、教会で過ごす一分一秒が私に新たな信仰と希望を与えてくれるようになりました。
今では、どんな瞬間にも教会での経験が私を導いてくれます。それは私に力を与え、人生の困難に立ち向かうための自信をもたらしてくれます。
「教会で得られる平安は、世界のどこにもない。」
日本に初めて来た時、教会の場所や行き方がわからず困っていました。そのとき、ある先生の導きで私は無事に教会にたどり着き、そこから心の平安と確信を得ることができました。先生には、今も感謝の気持ちでいっぱいです。
洗礼を志すにあたって
S.N.
私が和歌山教会に通い始めたのは、数年前に夫と共に夕礼拝に参加した時からです。それ以前、小学生の頃に担任の先生がクリスチャンで、Y町にある教会に連れて行っていただいたことがありました。
幼少の頃から、何かあるたびに神仏やご先祖様に祈る習慣がありました。しかし、私は常に人と自分を比較し、人目を気にしながら過ごしておりました。その結果、人を好意的に見ることができず、被害妄想的になることも多々ございました。
結婚後、子育てや仕事、人間関係などで多くの困難に直面し、生活も苦しい時期が続きました。助けを求めて占いに頼ることもありましたが、それは一時的な安堵を得るに過ぎず、真の救いにはなりませんでした。むしろ、占いが心をさらに追い詰め、病む原因となってしまったのです。心の病を抱えながら自己反省を試みましたが、改善されることなく、人との比較や人目を気にする生活が続きました。周囲の人々を否定的に見ることが増え、子供にも優しく接することができない辛い日々でした。そんな中で、夫が絶えず声をかけ、支えてくれました。今振り返れば、神様が夫を通じて私を導いてくださっていたのだと感じています。
教会に通うようになってから、イエス様の温かい御心に触れることができました。イエス様が常にそばにいてくださると感じることで、悩みを打ち明けられるようになり、神様が見守ってくださっているという平安の中で、日々の生活が過ごしやすくなりました。これまで神様を知らずにただ頑張ることで心を病んでしまったことを、今改めて振り返ることができます。
もちろん、今でも災害や辛い出来事がなくなったわけではありませんが、それも全て神様のご計画の中にあると感じています。神様の導きと救いが常にあると信じており、神様はいつも私を呼び戻してくださるのだという安心感を持っています。そのため、夫から「洗礼を受けよう」と勧められたときには、迷うことなく受け入れることができました。
今では、一週間を神様の導きのもとで過ごす喜びを感じております。これからの人生も、家族と共に神様の導きに従い、信仰生活を歩んでいきたいと願っています。

C.U.
私は、天理教と仏教の影響を受けて育ちました。天理教の天地創造の教えには、キリスト教との共通点を感じることがありました。妻と同じ信仰と価値観を共有し、これからも共に生きていくために、私は洗礼を受ける決意をしました。
聖書には、自分だけの世界に生きることが罪であると記されています。私は、自己中心的ではなく、仲間と共に協力し合いながら生きることを望んでいます。イエス様の十字架と復活は、私たちを自己中心的な生き方から救い、神の民として共に生きる道を示してくれると信じています。
牧師の教えを通じて、最適なタイミングで洗礼を受けることができたことに感謝しています。今後は、イエス様をより深く理解し、その御姿を心に近く感じられるよう努めていきたいと思います。また、100歳時代を見据えた地域の課題にも取り組み、仲間と共にその改善に努めたいと思います。

Y.I.
私の祖父母と両親は和歌山教会の会員であり、私は教会の幼稚園を卒園しました。幼少期には教会学校には通わず、結婚後に和歌山を離れ、九州や関西を転々としました。2歳の息子が事故に遭った際、周囲から祖先の祟りや逆縁の罪について指摘され、驚きを感じました。
息子の事故から年月が経ち、和歌山に戻ることができ、母の訪問聖餐を通じて、再び教会とのつながりを得ることができました。和歌山に戻ってからの20年はあっという間で、家族や地域の人々との関わりの中で過ごしてきました。現在の不安な状況においても、礼拝での「恐れるな」という言葉や母の言葉を思い出し、心安らかに過ごすことを願っています。

Y.N.
私が教会に通い始めたのは、毎日が不安で前を向くことすらできなかった頃です。父が語る神様の存在に興味を持ち、週に一度教会に通い、牧師の説教を聞く中で、神様の存在を感じるようになりました。イエス様が私のよりどころであることを知り、心が安らぎました。
私は自分を大きく見せようと努力し、その結果、プレッシャーに押しつぶされることもありました。しかし、イエス様の十字架の犠牲と、神様の大きな愛に触れることで、心の平安を得ることができました。現在は、イエス様の愛を信じ、神様に感謝しています。これからも教会での聖餐を通じて、イエス様とのつながりをさらに深めていきたいと考えています。

S.U.
私は2022年7月に和歌山教会に伺うようになりました。それ以前は日本基督教団大阪教会に通っていましたが、転居を機に和歌山教会に通うようになりました。長年、両親との関係に悩んでいましたが、カナダでの留学を通じてキリスト教に触れ、その温かさを感じました。
私は幾つかの持病があり、多くの誤解や困難を経験してきました。しかし、教会の礼拝を通じて、イエス様と深く向き合うことができ、祈りを通じて他者を思いやる気持ちを持つことができるようになりました。
自分と同じような苦しみを抱える人たちに、イエス様の話を伝えたいと願っています。