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灯りは沈黙の中に
日本で日本文学を学ばれていますトルコのシッ
シマン ラビア メリサさんが去る4月6日の礼拝
に来会され、この度、教会だよりに投稿を寄せて
くださいました。是非、お読みになってください。
SISMAN.Rabia.Melisa
シッシマン ラビア メリサ
和歌山教会の礼拝堂。その扉を静かに開けたとき、空気が、ほんのわずかに変わったような気がしました。外の喧騒がふっと遠のき、世界のざわめきが一歩退き、代わりに、胸の奥に小さな静けさが灯ったのを覚えています。その日、わたしは初めて主日礼拝に与りました。まるで、見えない手に導かれるように、ただ一人の人間として、椅子に腰をおろし、目を閉じ、耳を澄ませていました。そのとき、五十嵐牧師が語られた言葉が、心の奥にすうっと沁み込んできたのです。――神は、祈ることすらできない沈黙の中に、ともにおられます。熱くもなく、激しくもなく、けれど確かに、一滴の水のように届いてきたこの言葉が、わたしの中にあった古い沈黙に、初めて優しく触れたのでした。 祈ることができなかった時期がありました。言葉が出てこず、涙も流れず、ただ生きていることだけで、精一杯の日々。「生きていることそのものが、罪なのではないか」とさえ、思っていたあの頃――けれどこの言葉に出会ったとき、わたしは知りました。沈黙そのものが、祈りでありうるのだと。
わたしの育った家には、祈りに厳しい型がありました。
父は敬虔なイスラム教徒で、朝と夕の礼拝を欠かさず、メッカ巡礼を果たしたのちは、より一層、信仰を深めてゆきました。父は、平和を守るための準備――そうしたことにも関心を寄せており、家の中で時おり、その話題が静かに語られることがありましたわたしには、どこか馴染めない領域でしたが、語るときの父のまなざしは、いつも澄んでいて、真剣で、その関心が、信仰と矛盾していないことに、父の中のひとつの静かな秩序を感じたのです。
母は、異国から来たクリスチャンでした。慣れぬ土地にあっても、イスラムの教えを学び、夫の信仰に敬意をもって寄り添っていました。けれどどれほど真摯に祈っても、祖母は母を「イスラム」とは認めませんでした。「お前はカーフィル(不信者)だ」――祖母は何度もそう言い、母は言い返さず、ただ沈黙を選びました。その背中を、幼いわたしは、何度も見てきたのです。母の沈黙には、言葉にならないほどの深い悲しみと、それでも誰も責めぬ強さが、滲んでいたように思います。そのたび、わたしの幼い胸は締め付けられました。
トルコでは、夏になると子どもたちがモスクに通い、アラビア語を音読し、祈りを暗記し、礼拝を学びます。わたしも通いましたが、左利きのわたしは、「悪魔に近い」「汚れている」と言われ、右手の強制を受けました。母も左利きで、文字の書き方を教えてくれたのも母でした。その日を境に、母は二度とわたしを通わせず、イスラムについて何の強制もしませんでした。祖母に言われ続けた言葉。「女の子は静かに。足を開いて座るなんて恥ずかしい。」女性であることを恥じるようになっていたわたしに、教会の礼拝堂で見た男女の隔てなき祈りの風景は、新鮮な風のように吹き込んできました。日本の教会では、男も女も、分け隔てなく並び、互いを遮らず、静かに祈っていました。それぞれの心が、それぞれの神の前に、まっすぐに置かれている――そのことが、わたしには、あまりにも自然で、尊い光景に見えました。
わたしは、女性です。けれど、「女らしくある」ために祈るのではなく、この命のままで、神の前に立っていい――そう思えたことが、わたしにとっての救いでした。
結婚についても、わたしは長く考えてきました。異なる信仰背景の中では、女性の声は尊重されにくく、母のように、孤独な祈りのなかで生きる姿を見てきました。結婚とは、誰かのものになることではなく、ふたりのあいだに、日々編まれていく信頼の祈りだと、いまのわたしは思います。形式が愛を生むのではなく、愛があるところに、初めて形がともなうのだと。
キリスト教のすべてを信じきれるわけではありません。けれど、それでも――
救いとは、「そのままでいていい」と言われること。
宗教とは、「縛る」ものではなく、「ともに在る」ものではないか。
和歌山教会の礼拝堂で与った、あの一滴の言葉。
神は、祈ることすらできない沈黙の中に、ともにおられます。
それは今もなお、わたしの心のなかで、灯りのように、生き続けています。


初めて日本の教会にきて
S.P.
皆さん、こんにちは! 私は南インドの自然豊かな町で生まれ育ち、現在は日本で新たな人生を歩んでいます。
なぜ日本に来たのか?
なぜ和歌山教会にいるのか?少しユーモアを交えながら、私の物語を皆さんに読んでいただきたいと思います。
☆インドから日本へ:なぜここに?
☆「英語が話せるのに、なぜ日本を選んだの?」
これは、私が最もよく聞かれる質問です。確かに、アメリカやイギリスという選択肢もありました。しかし、私は「最も難しい道を選ぶことで、最も多くのことを学べる」と信じています。そう考え、日本語という未知の世界に飛び込み、ここ和歌山にたどり着きました。
最初の数週間は、まさに文化の衝撃でした。漢字の難しさ、想像を超える礼儀作法、そして何より、日本の食べ物が「甘くない」ことに驚きました!インドではスパイスの嵐の中で育ちましたが、日本では「だし」の優しい味が心を和ませてくれました。
☆教会との出会い:神の導き?
もしかすると、和歌山教会に導かれたのは神の計画だったのかもしれません。初めて教会を訪れたとき、私はすぐに「ここが私の居場所だ」と感じました。
私はインドのセント・アントニーズ高等学校で学びました。そこはキリスト教系の学校で、毎日の祈りが生活の一部でした。そのため、教会に通うことは幼少期から慣れ親しんだ習慣でした。和歌山教会の皆さんはとても温かく迎えてくださり、まるで故郷に帰ってきたような気持ちになりました。
母の死と父の教え
私の人生で最も大きな試練は、母の死でした。12歳のとき、突然の病で母は天に召されました。その日は、私が初めて母にチェスで勝った日でもありました。あの勝利が、母との最後の思い出になるとは思いもしませんでした。
父は、母を失ってからも懸命に私たちを支えてくれました。とても優しく、人を疑うことを知らないほど誠実な人でした。時には騙されることもありましたが、それでも「人を信じることの大切さ」を教えてくれました。「世界は純粋で、人々は優しい。だから、お前も親切であり、母のように勇敢であれ」という父の言葉は、今も私の心に深く刻まれています。
☆これからの目標
私はこれからも、日本での生活を大切にし、成長していきたいと思います。そして、インドと日本をつなぐ架け橋のような存在になれたらと願っています。
和歌山教会の皆さん、私を温かく迎え入れてくださり、本当にありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


Z.T.
私は小さい頃から教会に通うことが習慣となっていました。しかし、それは単なる習慣であり、教会の本当の意味や重要性を理解していませんでした。
ある時、人生の中で多くの問題に直面しました。憂鬱や悲しみ、解決策の見つからない問題に苦しんでいたとき、友人が教会で祈るよう勧めてくれました。それまで教会には通っていましたが、祈りの深さを感じることはありませんでした。
その日、私は心から神を求めました。涙が溢れましたが、祈りながら心の中に不思議な平安が広がり、乱れていた心が静まりました。その瞬間から、教会で過ごす一分一秒が私に新たな信仰と希望を与えてくれるようになりました。
今では、どんな瞬間にも教会での経験が私を導いてくれます。それは私に力を与え、人生の困難に立ち向かうための自信をもたらしてくれます。
「教会で得られる平安は、世界のどこにもない。」
日本に初めて来た時、教会の場所や行き方がわからず困っていました。そのとき、ある先生の導きで私は無事に教会にたどり着き、そこから心の平安と確信を得ることができました。先生には、今も感謝の気持ちでいっぱいです。


洗礼を志すにあたって
S.N.
私が和歌山教会に通い始めたのは、数年前に夫と共に夕礼拝に参加した時からです。それ以前、小学生の頃に担任の先生がクリスチャンで、Y町にある教会に連れて行っていただいたことがありました。
幼少の頃から、何かあるたびに神仏やご先祖様に祈る習慣がありました。しかし、私は常に人と自分を比較し、人目を気にしながら過ごしておりました。その結果、人を好意的に見ることができず、被害妄想的になることも多々ございました。
結婚後、子育てや仕事、人間関係などで多くの困難に直面し、生活も苦しい時期が続きました。助けを求めて占いに頼ることもありましたが、それは一時的な安堵を得るに過ぎず、真の救いにはなりませんでした。むしろ、占いが心をさらに追い詰め、病む原因となってしまったのです。心の病を抱えながら自己反省を試みましたが、改善されることなく、人との比較や人目を気にする生活が続きました。周囲の人々を否定的に見ることが増え、子供にも優しく接することができない辛い日々でした。そんな中で、夫が絶えず声をかけ、支えてくれました。今振り返れば、神様が夫を通じて私を導いてくださっていたのだと感じています。
教会に通うようになってから、イエス様の温かい御心に触れることができました。イエス様が常にそばにいてくださると感じることで、悩みを打ち明けられるようになり、神様が見守ってくださっているという平安の中で、日々の生活が過ごしやすくなりました。これまで神様を知らずにただ頑張ることで心を病んでしまったことを、今改めて振り返ることができます。
もちろん、今でも災害や辛い出来事がなくなったわけではありませんが、それも全て神様のご計画の中にあると感じています。神様の導きと救いが常にあると信じており、神様はいつも私を呼び戻してくださるのだという安心感を持っています。そのため、夫から「洗礼を受けよう」と勧められたときには、迷うことなく受け入れることができました。
今では、一週間を神様の導きのもとで過ごす喜びを感じております。これからの人生も、家族と共に神様の導きに従い、信仰生活を歩んでいきたいと願っています。


C.U.
私は、天理教と仏教の影響を受けて育ちました。天理教の天地創造の教えには、キリスト教との共通点を感じることがありました。妻と同じ信仰と価値観を共有し、これからも共に生きていくために、私は洗礼を受ける決意をしました。
聖書には、自分だけの世界に生きることが罪であると記されています。私は、自己中心的ではなく、仲間と共に協力し合いながら生きることを望んでいます。イエス様の十字架と復活は、私たちを自己中心的な生き方から救い、神の民として共に生きる道を示してくれると信じています。
牧師の教えを通じて、最適なタイミングで洗礼を受けることができたことに感謝しています。今後は、イエス様をより深く理解し、その御姿を心に近く感じられるよう努めていきたいと思います。また、100歳時代を見据えた地域の課題にも取り組み、仲間と共にその改善に努めたいと思います。


Y.I.
私の祖父母と両親は和歌山教会の会員であり、私は教会の幼稚園を卒園しました。幼少期には教会学校には通わず、結婚後に和歌山を離れ、九州や関西を転々としました。2歳の息子が事故に遭った際、周囲から祖先の祟りや逆縁の罪について指摘され、驚きを感じました。
息子の事故から年月が経ち、和歌山に戻ることができ、母の訪問聖餐を通じて、再び教会とのつながりを得ることができました。和歌山に戻ってからの20年はあっという間で、家族や地域の人々との関わりの中で過ごしてきました。現在の不安な状況においても、礼拝での「恐れるな」という言葉や母の言葉を思い出し、心安らかに過ごすことを願っています。

Y.N.
私が教会に通い始めたのは、毎日が不安で前を向くことすらできなかった頃です。父が語る神様の存在に興味を持ち、週に一度教会に通い、牧師の説教を聞く中で、神様の存在を感じるようになりました。イエス様が私のよりどころであることを知り、心が安らぎました。
私は自分を大きく見せようと努力し、その結果、プレッシャーに押しつぶされることもありました。しかし、イエス様の十字架の犠牲と、神様の大きな愛に触れることで、心の平安を得ることができました。現在は、イエス様の愛を信じ、神様に感謝しています。これからも教会での聖餐を通じて、イエス様とのつながりをさらに深めていきたいと考えています。


S.U.
私は2022年7月に和歌山教会に伺うようになりました。それ以前は日本基督教団大阪教会に通っていましたが、転居を機に和歌山教会に通うようになりました。長年、両親との関係に悩んでいましたが、カナダでの留学を通じてキリスト教に触れ、その温かさを感じました。
私は幾つかの持病があり、多くの誤解や困難を経験してきました。しかし、教会の礼拝を通じて、イエス様と深く向き合うことができ、祈りを通じて他者を思いやる気持ちを持つことができるようになりました。
自分と同じような苦しみを抱える人たちに、イエス様の話を伝えたいと願っています。
