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人生には、ふと心の奥に、小さな空洞のようなものを感じる時があります。 それは、何かが欠けているというよりも、まだ見つけていない何かを、心の深みがそっと求めている――そんな静かな痛みとして、私たちの中にひそんでいるものです。 その思いは、もしかすると、いのちの源と、ほんとうの意味で出会いたいという、魂の祈りなのかもしれません。 教会は、その祈りに耳を澄まし、ともに黙し、ともに歩むことを大切にする場所です。
誰かが答えを教える場ではなく、それぞれの問いを携えて集う、静かな共同体。名もない思いが、ことばになっていくまでの時間を、急がずに分かち合う場です。
しかし、2025年、五十嵐牧師をお迎えし、私たちは話し合いを重ね、方針を変えました。
開けておくのがふさわしいと判断されたとき、会堂の扉は静かに開かれることになったのです。
牧師からのひと言
牧師からのひと言 イエス・キリストは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と呼びかけておられます。(新約聖書「マタイによる福音書」第11章28節)
この世の旅路で疲れた時に、わたしたちに安らぎを与えてくださるお方がいます。そのお方はイエス・キリストです。このお方はわたしたちを愛して、わたしたちにすべてを与えてくださいます。招きに応えて、このお方のもとに来てみませんか。このお方の御言葉に耳を傾けてみませんか。わたしたちと一緒に、このお方に向かって賛美の歌を歌いませんか。
教会は、あなたを心からお待ちしています。
<プロフィール>
牧師 五十嵐高博 (いがらし たかひろ)
香川県高松市出身
大阪大学大学院(薬学研究科)博士課程前期修了の後、献身
2009年3月 東京神学大学大学院(神学研究科)博士課程前期修了
2009年4月 日本基督教団千里丘教会
2025年4月 日本基督教団和歌山教会
牧師 五十嵐悦子 (いがらし えつこ)
東京都国立市出身
青山学院大学(経済学部)卒業の後、社会人経験を経て献身
2009年3月 東京神学大学大学院(神学研究科)博士課程前期修了
2009年4月 日本基督教団千里丘教会
2025年4月 日本基督教団和歌山教会
主イエスは、遠くにおられる方ではありませんでした。弟子たちとともに歩き、パンを裂き、食卓を囲まれた方でした。信仰とは、頭で考える前に、まず「そこに、ともに身を置くこと」なのですね。
ライブ配信は、来られない方に礼拝を届けるありがたい恵みです。けれども画面越しには、受け取りきれないものがある。同じ場所で御言葉を聞き、賛美し、祈る、そのからだごとのぬくもりは、礼拝の時間だけのものではありません。礼拝のあと、顔を合わせ、なにげない言葉を交わすささやかな交わりのなかにも、キリストは息づいています。慈しみと愛のあるところ、そこに神はおられる、と。
コロナ禍を経て、私たちは礼拝が終わればそのまま帰る習わしを身につけ、いたわり合うあの時間が少しずつ痩せていきました。六月からの「教会カフェ」は、その失われかけたぬくもりを取り戻そうとするささやかな試みです。
もっとも、こんな声もありました。「礼拝ではマスクを着け声も控えるのに、カフェでは外してお茶をいただく。一貫していないのではないか」と。まことに、そのとおりかもしれません。その矛盾を、私はうまく解いてみせることができません。けれども、その矛盾を抱えたまま、それでも私たちは、もう一度、人と人とが顔を合わせる道を探してゆくほかないのでしょう。
いまは一つの「過渡期」―― 身を守ることを何より大切にしていた日々から、少しずつ交わりを癒やしていく途上です。礼拝は、感染を案じる方に寄り添い、当面は対策を続けます。カフェは、残れる方が心おきなく集う時間です。ここでいう「自己責任」とは、教会は知らぬという冷たい言葉ではなく、それぞれが自分のからだと暮らしを思いやり、互いのためらいを尊び合う、あたたかい配慮のことです。不安のある日は、どうか無理をなさらず、来ない方も途中で帰る方も、その静かな判断が等しく大切にされます。
教会カフェは、偶数月の第二日曜日、礼拝のあとに開いています。